サラリーマンはなぜ学ばないのかーリスキリングが日本でうまく行かない理由ー

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社会人の学び直しを意味する「リスクリング」が企業社会でブームになっています。しかし周りを見渡せば、その必要性についてはなんとなく理解しているのの、一体全体何を学び、それがどう自身のキャリアに結びついていくのか明確にイメージできていない人が多いようです。

なおかつ企業の総務部門からは「研修テーマを拡充しました」「e-ラーニング環境を整備しました」「積極的に受講してください」という指示だけで、それを受けた現場では、先の疑問への答えもわからないまま負担業務が一つ増えた程度の認識しかないのではないでしょうか。

今回は「リスキリングは経営課題」(小林祐児,光文社新書)をもとに、日本ではなぜ「リスキリング」が掛け声だけに終わりいがちなのか、その背景を探っていきたいと思います。

Ⅰ.リスキリングブームの背景と学ばない日本人

「リスキリング」の前によく聞かれた言葉に「リカレント教育」があります。

「リカレント教育」は1960年代から70年代にかけてヨーロッパで生み出された用語で、その特徴は「企業以外の教育機関」での学び直しです。

一方で「リスキリング」は、ダボス会議で「リスキル革命」をテーマにしたセッションが行われた2018年前後にグローバル規模で人口に膾炙した「新しいスキルの獲得」を指す用語です。

「リスキリング」を身につける場は教育機関かどうかは問わず、また、「リカレント教育」よりも「仕事」や「実務」に直結する実践的なスキルを意味しています。

ではリスキリングが盛んに言われるようになった背景はなんでしょうか?

1.リスキリングブームの背景

ブームとなった1つめの理由は「DX」の潮流です。

経済のデジタル・シフト、データ活用の高度化により産業構造に変化が起こり、就業構造や職業に対する認識にも大きな変化が伴いました。企業が意識するようになった「デジタル人材の不足」が「リスキリング」の必要性を押し上げていったのです。

2つ目は人的資本開示の潮流です。

人的資本開示についての国際標準ガイドラインの整備にともない、日本企業も「人的資本」の状況や社員の育成方針を外部に対して開示することが求められています。企業にとっては、どのような情報を開示し今後何を実行するのかは大きな経営課題となっています。

3つ目は日本企業への人材投資規模の小ささです。

次のデータが示すように、日本は先進国の中でもGDPにおける人材投資の規模が極めて低くなっています。

この状況に危機感を強めた政府は岸田内閣の「新しい資本主義実現会議」で人への投資を重点政策に掲げました。

出典:厚生労働省 2022年度 第3回雇用政策研究会(参考資料集)

以上のように「DXの流れ、人的資本経営の流れ、そして『リスキリング』の流れによって、バブル崩壊後、低水準であり続けた企業の人的資本への投資に対して、久しぶりに上昇圧力がかかる施策が続々と動き出し」(同書, P27)ているのです。

2.入社後、学ばない日本人

それでは企業の投資という観点から、個々人の「行動」に目を向けてみましょう。次のデータを初めて見る人は、(自分のことは棚に置いて・・)少し驚くのではないでしょうか。

「社外学習・自己啓発を行っていない」日本人の割合は他国と比べて圧倒的に高くなっているのです。

「未来人材ビジョン」経済産業省,2022

なぜ日本人は学ばないのでしょうか。

同書では、学ばない理由を尋ねた他の調査で「あてはまるものはない」と回答した人の割合が51.2%であり、「転職や独立を予定していない(17.2%)」「仕事や家事・育児などで忙しい(15.0%)」と比べても突出して多いことを示しています。

「あてはまるものはない」という回答者が半数以上にのぼることから、同書では、日本人は「学ばないことへの積極的理由」や「学ばないことの明確な原因」が存在せず「なんとなく」学んでいないのだと説明しています。

Ⅱ.なんとなく学ばない日本人、その背後にある構造とは?

日本人が「なんとなく」学ばないのはなぜなのか?

その理由を同書では説得力ある形で説明します。

結論をいえばそれは「学びに対する主体性が発生しないようなメカニズムが企業の人材マネジメントに内包されている」(同書, P93)からです。

どういうことでしょうか。

日本の正社員のキャリアの昇進構造は「オプトアウト」方式の平等主義・競争主義的な昇進構造です。オプトアウトとは、不参加・脱退という意味で、同意がなくても原則的に参加することが決まっていて、脱退するときにはじめて意思表示をする方式です。

日本では新卒社員が横並びで一斉に入社して以降、強制的に出世競争に巻き込まれていきます。入社後は同じ教育が施され、その都度与えられた仕事をうまくこなすことが求められます。

ここには、自分自身で主体的になにかを選びとる能動性より、与えられた環境(受動性)の中で発揮する小さな自主性のみが存在します。

日本のサラリーマンは人事異動をすると、新しく与えられた環境の中で「そこそこの主体性」や「そこそこの学び」を発揮することが求められます。当人にとってみれば、それが「学び」であり「主体性の発揮」なのです。

これは決して否定すべき点ではなく、むしろ、うまいやり方=システムだともいえます。なぜなら、あくまで本人は能動性を発揮していると感じているのであって、その内発性が仕事への努力、ひいては企業業績に結びつくからです。

また、企業にとっても、業種ごとに深く専門的な研修を揃えることなく、全社員を対象とした広く浅いプログラムを用意しておけば済みます。先に人材投資の国際比較で日本が極端に低かった理由もここにあるでしょう。

しかしこのシステムがうまくいっているのであれば、「リスキリング」が今になって殊更に叫ばれることはありません。過去にはうまくいったシステムが現在では機能不全を起こしているから、慌てて企業も労働者も「リスキリング」の必要を認識しはじめているのでしょう。

Ⅲ.日本でリスキリングがうまく行かない理由とは

ここで「過去にはうまくいったシステムが、現在では機能不全を起こしているのはなぜか?」という点について考察します。

当たり前の話ですが、企業は現在(というかしばらく前から)、環境変化の激しい中で常に新たな商品・サービスの開発やオペレーションの変革が求められています。

市場に受け入れられる商品を開発するためのマーケット調査や過去の経験は、右肩上がりの時代とは異なり現在では1つの蓋然的な要素としてのみ意味を持ち、売れる商品を決定づける不確定要素は年々増加しています。

市場はすでに定常状態に入っています。「需要を無限に拡大する」資本主義的ダイナミズムの限界が見えているなかで、自社の代替サービスもどんどん増える。。。

しかし企業はその定義(ゴーイングコンサーン)からして、何もせずに「ゆでガエル」のごとく座して死を待つわけにもいきません。このとき、自社の問題点を特定し業績回復の足掛かりをつかむために日本企業が何をしてきたのか。

一つには、「他国の例を参照してきた」のだということが言えます。「成果主義」「目標管理制度」「ジョブ型」など、他国の制度やセオリーを輸入することで変化をもたらすことに期待を寄せてきたのです。

しかし残念ながら、「なにを導入し、その結果何がどう変わったのか」について、これまできちんと検証されてきた気配はありません。そして、現在流行りの「リスキリング」にも同様のマインドが感じらはしないでしょうか。

大目標である「競争優位」「業績向上」を実現する手段として「DX」や「イノベーション」が、更に「DX」や「イノベーション」を実現する担い手である社員への「リスキリング」が、何かをしなければならない企業の施策の上位に現在躍り出ていると言えそうです。

「リスキリングは経営課題」(小林祐児,光文社新書)では、現在日本企業が実施しているリスキリングのやり方の問題点と解決の方向性を提案しています。

ごく簡単にいえば、多くの企業の今のやり方は、個人ベースで研修コンテンツを受けさせ個々の知識をインプットさせるだけで終わり、学びをどう組織文化の変革やイノベーションにつなげていくかといった視点がなく、またコンテンツに実装もされていない、と至極もっともな課題を指摘しています。

私見では、いまの日本企業のリスキリングコンテンツの導入過程は、米国的なアトミズム(原子論、全体よりも個が実体であると考える立場)を前提としている点に問題があるのではないかと思います。

「コンテンツは企業で用意したから社員のみんな、受けてね」というやり方は、個が立つことよりも、環境に埋め込まれた存在としてのコミュニケーションが得意な日本人には適合しないのでは?という疑問があるのです。

海の向こうを参照しカタカナ概念やコンセプトを導入することは悪いことではありません。しかし、その昔中国から輸入した漢字を取り入れながらも、ひらがなを交えた独特な日本語を作りあげたように、自社に浸透させるためには並々ならぬ努力が必要であることを今一度認識すべきではないかと思うのです。

他国でうまく行っているやり方をそのまま踏襲してもうまく行きません。社会風土や企業文化というのはそれほど根強いのです。

そして、先ほどの問いに対して、以下のような仮説を述べて今回は終わりにします。

問い:過去にはうまくいったシステムが、現在では機能不全を起こしているのなぜか?

答え:システムがうまく行っていないのではない。
「まなび」は「まねび」(=真似る)からきていることからも他国をまねることはよいが、それを自家薬籠中の物(システム化)にできていないことが問題なのである。リスキリングに限らず表層的なコンテンツを既存制度に上乗せするだけでは、やった気になるだけで無駄な投資案件が増えるだけである。従って、個々の企業文化や企業特性を踏まえ、コンテクストに順応したリスキリング制度を構築すべきである。


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